源平屋島合戦古戦場 [香川県にて]
うどんが香川県であることも、こんぴらさんや小豆島が香川県であることも知らなかった(2007年9月8日アップ分参照)私がこのような歴史的なものを知るよしもなかったのだが、これについては最近会社の先輩から聞いて一応知っていた。
四国八十八箇所に始まり、そのルーツのひとつ(偶然の出会いとはいえ先程の州崎寺)、そして今回の源平合戦の地に触れることが出来ようとは。。。
かつては教科書上に載っていた遥か昔の御伽話に過ぎなかった源平合戦、それがいま血生臭き悲劇として眼前に甦る。
とかっこよく書いてみたが、時は経過し、平和が訪れると共に血生臭さは取り去られ、そして忘れ去られ、残ったのは跡地としての史実の記録にとどまっている、というところか(すみません)。
2007年10月13日。八栗寺の帰路である。
尚、ここから紹介する各写真の場所は一箇所に纏まってはおらず、言わばオリエンテーリングの如く石碑の地図を確認しながら観て廻るという感じ。
左;先ずは<弓流しの跡>。義経の、海中での戦い。
右;<景清の錣引きの伝説>。景清(平家方)の剛勇と執念は歌舞伎でも有名らしい。
左;<祈り岩>。埋もれてて気付かん。1回通り過ぎてしまった。
右;もくもく遊らんどとらいあるというところがあり、源平観光案内所と書いてあるので早速入ってみましたよ。中はミニ資料館という感じでした。
左;源平合戦の今昔(写真)。明治から昭和(戦前)にかけてのこの近辺の写真です。
右;源平合戦史図。
このような戦いが展開されていたとは。。。
もくもく遊らんどを出て、他を観ますよ。
<駒立岩>。なるほど、そういうことですか。
そして、<射落畠>です。佐藤継信戦死の場所らしい。心打たれる。
手前の碑にてライオンズクラブも敬意を表すか(右が拡大写真)。
<源平合戦総門>はこんな感じです。
左;だいぶ離れたところに<安徳天皇社>はあります。
右;そしてあの屋島に繋がる<弘法の道>図。全部は観きれませんでした。
そして、本日の最期の目的を果たしに行きますよ。
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