旧知の人と(第4回・・・という標題は最後にしたい) [長崎県にて]
懲りることなくこのシリーズが続いている。第1回から始まるこのタイトルも、いろいろな旧知の人がいることを改めて思った以上、最後にしたい。
というわけで今回の目的地(集合場所)は前の記事、島原(雲仙)なのであった。
(前々の記事でお気づきでしょうか、結局かもめさんたちは島原まで一緒についてきたのでした)
島原港は初めてだな。
資料の中の一枚。
島原港、国道より。
熊本出るときは土砂降りだったがこちらも降ったのかな?虹が出てます。
そして雲仙に向かい皆と集合(まーごさん、すまんやった)。
宿泊地はここ、雲仙有明(うんぜんゆうめい)ホテルですよ。
で、食事。右手には島原名物<具雑煮>が見える。
奥さん、たまには牛肉もいいでっせ(‐◎_◎)ノ。
例によって集まりバカ話をして解散、というお決まりパターンなのだが、今回については私にとって決死の出陣でもあった。なんといっても雲仙は地獄(+温泉)で有名なんですけど硫黄の臭気の強烈さといったら、そりゃ持病のある私としては発作を起こしてそのまま死ぬ恐れもあるわけですよ。
初日はとりあえず近場の温泉に入って例によってバカ話。いつも通り盛り上がるバカ話も今回はちょっとばかりいまいちだったかもしれない。話の内容がのびすぎやな。
初日はこんな感じ。2日目は地獄巡りと温泉行脚各々にわかれ好きなように過ごしましたよ。温泉のほうは湯めぐりパスポートというのがあって、あちこちのホテルの温泉に入れるんですねぇー。これはなかなかいいですね。
しかし私は決死の地獄めぐりを選んだのでした(死なないようにマスクを3枚重ねて歩いたのですれ違った人はさぞ怖かったろうのう)。
というわけで今回も旅の思い出とばかりに写真を綴ってみましょう。
まずは地獄めぐりから。
ちなみに地獄については<噴気や温泉の集まっている所を「地獄」と呼んでいます。雲仙温泉は、西暦701年に真言宗の大乗院満明寺が開かれて、仏教修行の場として栄えました。当時は、今よりも噴気現象が活発だった模様が古図からうかがうことができます。ゴウゴウと音を立てて、盛んに湯煙を上げている様子やゴツゴツした白い湯の花が一面を覆う様子から、昔の人々は、このような場所を仏教でいう「地獄」に例えたのでしょう。>という説明がありましたよ。
大叫喚地獄です。左側の木がなんとも言えませんな(‐◎_◎)ノ。
お糸地獄の風景。
地獄とは本来逆の意味ながら桃源郷とはこんな感じなのだろうか、などとも思ってしまう・・・
勿論温泉にも入りまくりだ。とあるホテルにはこのようなものが。
雲仙地獄切支丹迫害之図。歴史的な意味も含め大変興味深い。
ちなみに温泉によってタオルを無料で使わせてくれるところもあれば100円で買わせるところもあったり、ロッカー使用料がかかるところもあったりとまちまちです。利用の際にはご注意ください。
てなわけで温泉につかりまくり疲れ果てた我々はほどなく現地解散。
図々しくも私は解散後一人のメンバーにお願いし、島原まで送ってもらったのでした(すまぬ)。
道中、<鮎帰りの滝>へ。
左;意外に知られてないのではないかな?
右;川辺の向こう側にはなにやら石が。
そんなにおおきな滝(というか流れ)ではなかったけど、鳥居があったりしてなかなかだ。
滝を去り、島原市へ向かう道中にて。
遥か向こうに熊本県の宇土・上天草が見えます(‐◎_◎)ノ。
普賢岳にかなり接近していた(拡大写真ではあるが)。
噴煙上がってるじゃん。大丈夫なのだろうか・・・
普賢岳;別アングルより。また噴火しそうで怖いんですけど・・・
そして島原市。まずは武家屋敷だ。
初めての人は中の人形に仰天するかも。
そしてここでも井戸。やはり外せませんな(‐◎_◎)ノ。
意外に懐かしい風景。
17時をまわった。島原まで送ってくれた知人とも別れ、完全に単独行動に。
帰りのフェリーは19時過ぎの最終便。これにはある狙いがあった。
寒ざらしは食べましたか?
普賢岳の溶岩ドームをドアップで撮影してください。(仁田峠で)
by ぐも (2008-12-31 02:52)
寒ざらし、食べてません。そんなのがあったんですね。知りませんでした。
普賢岳ドアップはまたの機会がございましたら、ということで。
by Der_Einsiedler (2008-12-31 11:02)